2018年2月5日月曜日

盛岡冷麺の旅 - ④食道園(下)


歴史に思いを馳せるのはいったんここまでにしよう。われわれはまだ食道園の2階にいて、目の前では1杯の冷麺が箸をつけられるのを待っている。

ふつう冷麺を食べ慣れている人ほど味見などせず最初から辛味や調味料を加えてしまうものである。長年の経験から好みの加減をしっかり心得ているからだ。しかし、初心者の私は無粋を承知でまずそのまま味見してみることにした。


ツヤのあるその麺をすすった瞬間、かんすいを使った中華麺と同じ、あの独特の風味が鼻腔に押し寄せた。冷やし中華を食べているかのような錯覚に陥る。麺を噛んでみると、弾力はあるものの、しっかりと噛み切れる。

スープはダシの旨味が効いている。塩味がやや強く、たしかに醤油が少し入っているような風味がする。盛岡冷麺のスープは甘ったるいという偏見があったが、これはあまり甘みがない。そして酸味もない。

さて、ベースの味はだいたいわかったので、おそるおそる辛味を注ぎ、酢もそれなりの量をかけてみる。そして『盛岡冷麺物語』に出ていた創業者・青木のエピソードを思い出しながら、玉子をグチャグチャに崩してみた(おでんでも同じことをやる人はいるので、これ自体はさほど風変わりな行為ではないと信じている)。


この状態で、南北朝鮮でよくやっているように箸を左右の手に1本ずつ取り、どんぶりの中身を念入りに混ぜ合わせる。ここまでくると日本のテーブルマナーでは一般に許されない行為だが、ここは盛岡なので治外法権が適用される。これをやってようやく、冷麺という料理は料理になるのだ。

どんぶりの中身は、赤く染まった液体のなかに白い麺が漂い、その隙間に大根や肉や玉子の破片が散乱するという、なんとも形容しがたい見た目になった。そこへ箸を差し入れて、もろもろの浮遊物を麺に巻き込みながらその勢いで一気にすすりあげる。


一口食べて、うまいということが即座に判明した。そして、二口、三口、と箸を進めながら、そのうまさを構成する要素が何であるか分析してみた。

つるつるの麺をすすりあげたときのくすぐったさと、それを噛んだときの独特のコシ。スープの旨味や酸味や塩味が味覚を絶妙に刺激し、唐辛子の辛味が痛覚に働きかける。ときおり鼻につく重曹のにおいさえも一種のスパイスだ。そして、なにより重要なのは、やっぱり冷感である。冷たくなければ冷麺は冷麺ではない。そういった要素が渾然一体となってわれわれの五感へ訴えかけてくる。それが冷麺だ。

そういえば、こんなに真っ赤なスープなのに、その冷たさのせいで序盤のうちは辛さを感じない。これも冷麺が冷麺であるゆえの現象である。しかし箸を進めていくうち、舌の上には着々とカプサイシンの刺激が蓄積されていく。そして気が付いたときにはもう舌がヒリヒリし始めていて、それを鎮めるためには目に前にある冷たい麺とスープを口に含むしかない。

だが当然、その苦痛が和らぐのは一瞬だけ。こうなるともう冷麺の思うツボである。食べても食べても辛さは収まるどころか増すばかりだとわかっていながら、地獄の餓鬼のようにそれを欲しつづけて、気がつけば平らげてしまっていた。

(誤解のないように書いておくと、盛岡冷麺はこんな大袈裟に書くほど激辛な料理でもない。ただ私の辛味への耐性が低いだけである。)


どんぶりは空になった。黄砂が降ったあとみたいに黄身のザラザラがうっすらと付着している。しばらくそれを見つめながら呆然としていたが、やがてわれにかえり、食道園の2階の座敷をあとにした。

出てくるときに気がついたのだが、この座敷には名前がついているらしい。左半分が「アリラン」で、右半分が「ヤンサント」。間仕切りを入れるとそれぞれが個室になるのだろう。


アリラン(아리랑)」は言わずと知れた朝鮮を代表する民謡。「ヤンサント」も京畿道の民謡「陽山道(양산도)」のことに違いない。このネーミングにハッとさせられた。『盛岡冷麺物語』にこんな逸話が載っていたからである。

「住まいだった店の2階の4畳半に誰も弾けないピアノが、なぜか置いてあった。『音痴』の青木がピアノに向かい、指1本で朝鮮の歌『アリラン』を弾いていた。たどたどしいが、1音1音確かめるようだった。早苗は隣室で病床にふせていた。青木が日本国籍を取る直前だった。」(『盛岡冷麺物語』p.33)

ラストオーダー時間が過ぎ、看板の電気が消えていた

青木が日本国籍を取ったのは1962年である。日本人の妻・早苗のためを思って決断したのでは、と青木の友人は言う。しかし当の本人は国籍の件について決して多くを語らなかった。

つづく